伊集院静がスペインの三人の画家、ゴヤ、ダリ、ミロを解説した書です。
ゴヤは1746年~1828年
ダリは1904年~1989年
ミロは1893年~1983年
ちなみに
ピカソが1881年~1973年
アンリ・ルソーが1844年~1910年
コルビジェが1887年~1965年
この時代に起きた芸術界の大きな変革が、巡り巡って今の建築界にも影響を及ぼしている。
改めてそう感じました。
コルビジェがキュビズムを意識していたのは、同時代を生きた天才達から影響を受けたもので、
当時の建築家の多くは画家と意を共にし、お互いを尊敬し合う関係にあったそうです。
本書の個性あふれる3人の画家…というか、個性あふれるなんてレベルではなく、
ゴヤに関していえば、もはや変態。異常な性癖をもつジィさん。といっても過言ではありません。
ダリも変人。
ミロは堅気の職人。
堅気の職人といってもレベルが異常です。
朝4時に起きてベットの上で3時間、創作の思索をし、7時から8時まで一時間眠り、
8時に寝室を出て、アトリエに行き、朝食の前までに仕事をし、
朝食の後 から午後の2時まで主に仕事をする。
それで一日の制作の仕事が終わり、昼食をとったあと、20分休み、
朝からの仕事を見直し、翌日の仕事の準備を夕刻までする。
という生活を何十年も続けていた。
ヒトラーの時代、スペインで起きた内戦から逃れるため、
ミロは家族をつれてモンパルナスへ向かいます。
そのモンパルナスも戦火に会い、そこからも脱出することになったミロは、
可愛い妻にまだ幼い娘を抱かせ、自分は模索中のスケッチブックを抱えていたそうです。
現代のパパなら考えられませんね。
ここまではまだ「異常」とまでは言えません。
その時模索していた作品が「星図・明けの明星」
意味が分かるでしょうか。
いえ、分かろうとしてはいけないそうです。
日本人は芸術を分かろうとする。
それが間違いだそうです。
また、ミロの作品に「太陽の前のトンボの飛躍」という絵画があります。
(「ミロ トンボ」で検索してください)
ミロはこの作品の構想を4年間もかけていたことが記録に残っています。
もう一度言いますが、4年かけて描いたのがこれです。
ミロは老いてからやっと名声を得ましたが、
それでもなお、何かを探し続け、求め続けた画家だったそうです。
ミロは絵画に対して誠実であった。
ミロは己に対して無垢であった。
彼の作品は難解だ。それでいて本人は無口だから余計に分からない。
けれども、この二つの言葉が全てであり、後は絵画を見た人がどう感じるか。
ただそれだけなのかもしれない。
ある美術のガイド本にこう書いてありました。
現実には存在しないはずの人物像を描いているにもかかわらず、
ピカソの画面は、私たちが認識している現実というものに
きわめて近いイメージを描き出しているのである。
これは子供の絵も同じである。
そして、さらに大切なことは、とすればルネサンス以来、
人々が親しんできた写実的な絵画というものは、
じつは私たちが思いんでいるほどには人間の現実に対する認識を反映してはいない、
ということである。
つまり、それらの絵は、ちょうどカメラで撮ったように、
一つの視点で一つの時間から見た時の画像を忠実に再現したものに過ぎないわけである。
それはそれで、一つの現実の描写であるものの、
じつは人間の現実に対する認識は、それほど固定的なものではなく、
もっと複合的なものであり、一つの視点で一つの時間を切り取ったような
現実の中には生きていないのである。
この現実を私たちに思い当たらせてくれる点に、
ピカソのなによりの革新性がある。
紙本