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葉山ヨッシー邸

Articles,Works|2017年11月16日

葉山に計画中のヨッシー邸

スタディー模型です

NCM_3466-1

平面的にはなかなか面白くなってきたので、
三次元になったときの全体のバランス感、
建物からにじみ出てくる雰囲気、
屋根の掛け方などなど・・・

考えなければならないことは無数にありますが、
この建築を深みのあるものにしていきたいと、思いを巡らせます

一見、普通の形をしているようにみえるけれど、
よくよく見ると、少しだけ何かが違う
普通でない

普通でない部分があちらこちらに細かく散りばめられて、
全体の雰囲気がなにやら違う感じ

決して奇抜なことをしたいわけでありません

 

日常のような非日常

常識的な非常識

 

その建物の住人(ヨッシー夫婦)、訪れる人、通りがかりに眺める人、
それぞれがそれぞれの立場でこの建物と接した時に
何かを感じてもらえるような。

例えば絵画や芸術作品を鑑賞したときに時々ある
イマジネーションが膨らむような感覚

歌詞の意味はよく分からないけど、心が震える音楽にふれた時のような・・・

そんな感覚をもってもらえたら…

それが今の自分にとって建築に必要なもののような気がしています

 

それはなぜか

それを説明するには、現代芸術の世界に踏み込む必要があるように思います

ピカソやカンディンスキー、ミロ、アンディウォーホールがしてきたことの意味

それをヨッシー夫婦に説明しようと力説してはみたものの、

そこには長ーい前置きが必要で、

全てを伝えるのは難しいです…

 

時間的な問題もあるし、突然そんな話をされてもね…心の準備が必要でしょうか

 

なにより

ヨッシーの奥さんが

模型を見て泣いていたから…

 

つべこべ言うのは、結果を出してからですね

 

関係ないけど
打ち合わせの帰りに、ヒッチハイクしていたドイツの女の子二人を湘南まで送り届けて、
夜はいつもより多めにランニング

そんな非日常的な1日がたまにあるからおもしろい

 

無くならない アートとデザインの間

Architecture,Art,Books|2017年07月05日

久しぶりに書籍を読んで考えたことを書こうと思います。

こんなことはブログだから書けるのかもしれないな・・・

と書いてみて感じました。

 

デザイナー佐藤直樹さんの書籍

 「無くならない アートとデザインとの間」

 無くならない

 

を読みながら、なんとなく思ったことです。

 

書きます

 

  目の前のやらなければならない仕事をこなすために、

 余計な思考を停止させ、

 まるでロボットのように

 ただただ右から左へと物事を送っている…

 
いや、今やロボットの方がよっぽど気を回してくれる

 

たくさんのしがらみの中で、

 もがくことすら諦め、

 流れに身を任せて、

 成果物としての何かが

 自動的にできあがるのを眺めている。

 

組織の中で与えられた役割をこなして

 答えをアウトプットしているだけ

 自分に責任がかからないよう

 しっかり防御線を張って

 自分の身を守る

 

 そんな場面が世の中にはたくさんありますよね・・・

 

著書の中にある言葉が印象的でした

 

「誰に何を伝えるかということ以前に、

『それ自体に心を奪われる』瞬間があるわけです。

おそらくそれがなければ絵は成立しません。」

 

もともと人という生き物は

何かをつくらないではいられない生き物だから

生まれて数年の小さな子供の時から

人は絵を描き始める

 

それはなぜか

人に何かを伝えたいからではなく

誰かに認められたいからでもなく

ただただ衝動的に

絵が描きたくなる

 

その衝動とか情熱とか信念みたいなものがあるかどうか

作ることに関わった人の思いは

その作品からにじみ出てくる

 

味噌汁で言えば「だし」みないなものかな・・・

 

与えられた命題を右から左ではなく

思いをこめて創るということは

創る人の責任

 

と思います。

 

紙本

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